またまた来ました。最近の芥川賞の風物詩ともいえるキテレツ系作品です。
本来なら漢字で書く単語をあえてひらがなで書いたり、文章が横書きだったり、改行がやたら少なかったりと、とにかく読みづらいです。
途中で完全に読む気が失せてしまいましたが、芥川賞読破プロジェクトの使命感だけでどうにか完読しました。
冒頭から本当に読みづらさが不快で、話の内容に入っていく気が全く起きず、あらすじを説明しろと言われても、正直説明できないです。ぶっちゃけ全然理解できませんでした。(理解する気も起きない)
これに対する選考委員コメントが全く納得いきません。
例えば、奥泉光先生のコメント。
「黒田氏の工夫はただ一つ、小説を読者にゆっくりした速度で読ませることにある。」「物語をただ消費すればよいとする風潮への、幽かに悪意の匂いのする批評につながっているとも感じられた。」
小説をゆっくり読ませるためにあえて読みづらくしている、という解釈ですが、それってちょっとひどくないですか。
「じっくり音楽を聴いてほしいのであえて小さい音で録音しました」という曲を聞かされているようで、読者にとっては何の意味もない試みです。
さらに小川洋子先生のコメント。
「ここにある日本語はほんとうに美しいなあと、うっとりした」
いや、小川洋子先生の日本語のほうが美しいと思いますよ!
素人に日本語を語る資格はないとは思いますが、「読みやすい日本語」が美しい日本語なのではないでしょうか。
文学とは何なのかを改めて考えさせられますが、少なくとも芥川賞のような社会的な影響力のある賞で、権威のある先生たちがこういう作品を評価してしまうのは疑問を感じます。
なぜ読者が読みにくい思いをすることが評価ポイントになるのでしょうか。
読者あっての文学なのではないのでしょうか。
↓アマゾンの評価も低めですが、中には高評価の人もいて、熱い長文レビューの人も。。
abさんご(Amazon)
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