南木佳士「ダイヤモンドダスト」とともに、第100回の芥川賞を受賞した作品で、「ダイヤモンドダスト」と同様に本格的な純文学の雰囲気が漂う作品でした。
主人公は韓国人と言っても日本で生まれ育っているので母国語は日本語。韓国語は勉強して覚えたものなので、あまり得意ではなく、韓国人と話をすると発音がおかしいと指摘をされ、そのたびに自分が韓国人であるというアイデンティティが揺らぎます。
だんだんノイローゼ気味になってきて、最終的には失意のなか日本に帰ることになるのですが、正直そこまで悩まなくてもいいのにとは思いますが、当人の立場にならないとわからない葛藤はなんとなく想像できます。
例えるなら、自分は関西出身で現在は東京に住んでいるのですが、地元に帰ると関西弁をしゃべっているつもりでもイントネーションが変だと言われ、東京は東京で関西なまりだと言われ、というのに近いのかなあと。
東京にいるときは東京に帰属意識はあまりなくて、関西人というアイデンティティを持って生活しているのに、いざ関西に帰るともはや関西人として認定されない。
もちろんその程度ならたいしたことではないのですが、でもそれが国籍の問題になってくると、すごく辛いことだと思うし、ましてや日本において在日韓国人の方々が暮らしやすい場所かというとそうでもないと思うので、より一層母国である韓国への帰属意識が強くなるんだろうなと。
そして、なんとなく司馬遼太郎先生の「故郷忘じがたく候」を思い出しました。こちらの場合、島津時代の薩摩に連行されてきた朝鮮人陶工たちが、薩摩人以上に薩摩人らしくなろうとするお話でした。
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由煕 ナビ・タリョン (講談社文芸文庫)
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